都市再開発の失敗

梅田の都市再開発計画の中でも特に力を注がれたのが、大阪駅前の再開発計画だった。計画された場所は、ダイヤモンド地区(現在の阪神デパート、第一生命ビルなどが建ち並ぶ一角)の南半分にあたる地域である。北半分に当たる部分は、昭和10年より土地区画整理事業が実施され、阪神デパートや第一生命ビルが建ち並んでいたが、南半分は事業途中で太平洋戦争が勃発し、焼け野原となり放置されていた。戦後には、闇市が建ち並び、闇市が撤去された後もその影響により小規模店舗が密集するという未整備な状況が続いていた。その地域を4つの高層ビル(大阪駅前第一ビル〜大阪駅前第四ビル)で建て直し、大阪の玄関口にふさわしい姿にするというのがこの計画だった。昭和36年に都市計画が決定し、21年の歳月を経て、昭和58年にこの事業が完了することになる。未整備だった地域が高層ビルの建ち並ぶ近代的な地域に生まれ変わり、この計画はあたかも成功したかのように思われた。しかし、実情をみてみると再開発の失敗を代表するような出来栄えだった。現在の大阪駅前ビルを見てみてもわかると思うが、多くの店がシャッターを閉め、場所によっては梅田のど真ん中だというのに人の気配すら感じさせないところすらある。この地域は梅田のゴーストタウンと言われるほどの変貌を遂げた。なぜ、成功する予定だった都市再開発計画がこのような失敗をしたのだろうか。その背景には様々な要因があったが、大きな要因は国鉄片福線(現在のJR東西線)の未開通とダイヤモンド地下街(ディアモール)の未完成にあっただろう。現在でこそ、JR東西線とディアモールとして完成しているものの、その完成はJR東西線が平成7年、ディアモールが平成8年と既に大阪駅前ビルがゴーストタウンと化した後の話である。当初の計画では、国鉄片福線の駅ができて大阪駅の地下街と結ばれ、大阪の一等地となる予定だった。しかし、予定していた片福線は結局開通されず、それに伴いダイヤモンド地下街の進行もストップした状態が続き、大阪駅と結ぶ通勤客の流れは全く期待できなくなった。こうして大阪駅前ビル内の店舗は赤字が続く店が続出し、シャッターを下ろす店が増えていくようになった。現在は東西線とディアモールの影響で多少は客足も増えているが、営業状態が良いとはとてもいえない状態が続いている。大阪市は計画性の不十分さゆえにゴーストタウンを造り出してしまったのだ。

大阪駅前ビル内