大阪駅の影響力

現在の梅田の発展の原点ともいえるのが、明治7年の大阪−神戸間の国鉄の開通だと思う。現在で言う「JR大阪駅」がこれに当たる。ちなみに当時は「梅田ステーション」という名で呼ばれていたそうだ。大阪駅は明治7年に神戸−大阪間で開通し、3回の改装を経て現在の大阪駅に至る。つまり、現在の大阪駅は4代目になるわけだ。初代大阪駅の停車場は、現在の大阪駅よりも西よりの所に位置し、ちょうど中央郵便局の西隣辺りに位置していた。乗り物といえば人力車やカゴが主流だった当時では、この大阪駅の誕生はどれだけ凄いことだっただろうか。多くの人が汽車を「見物」するために大阪駅に集まったと言われている。 それもそのはず大阪−神戸間の運賃は、だいたい40銭〜1円。現在でいう新幹線並みの料金で、一般人にはなかなか乗れるものではなかっただろう。大阪−神戸間の開通後の進展は急速に進み、明治10年には神戸−京都間、明治22年には新橋−神戸間にまで発展した。そして明治34年、ほぼ現在のアクティ大阪の位置に二代目大阪駅として新駅舎が建築された。この当時、旅舎や飲食店が建ち並び賑わいをみせ、土地の価格も1坪30銭程度だったものが1坪100円以上にまで上がっていたそうだ。それだけこの周辺の発展が急速だった事が想像できる。昭和3年には北野に広大な用地を確保し貨物専用の梅田駅を開業。これによって大阪駅は旅客専用駅となり、乗客と貨物の分離が実現した。そして、三代目大阪駅が完成するのが昭和15年。この頃には、地下鉄や阪神の地下線が開通した影響で地下街が広がり、「地下型都市」梅田の姿が現れていた。現在の梅田の原型といえるものがこの時期には完成していたのだろう。昭和54年、5階建てのビルを新設し、三代目大阪駅から駅長室や駅業務関係などの施設が移転した。そして、旧駅舎を撤去。昭和58年に旧駅舎の跡地に27階建ての高層駅ビル「アクティ大阪」が完成した。この時期以降、梅田に無数の高層ビルが建ち始め、地下には迷路のように張り巡らされた地下街、人々はビルや地下に姿を消し始めた。明治7年以降、大阪駅が与えた影響は計り知れない。田舎町だった梅田が大阪駅の誕生、路線の延長に伴い人口が増加し、ついには大阪最大のメトロポリスにまで発展したのだから。大阪駅の誕生が、現在の梅田を形成したといっても過言ではないだろう。

アクティ大阪
大阪駅年譜
明治07年 初代大阪駅誕生
明治07年 国鉄:大阪-神戸開通
明治10年 国鉄:京都-大阪開通
明治34年 2代目大阪駅完成
昭和03年 梅田貨物駅完成
昭和03年 大阪駅:旅客専用へ
昭和15年 3代目大阪駅完成
昭和54年 4代目大阪駅完成
昭和58年 アクティ大阪完成
昭和62年 国鉄:民営化(JR発足)