明治から現在にかけての梅田の発展録

現在、梅田という街を見てみる。高層ビルが至るところに建ち並び、地下には蜘蛛の巣のように敷かれた地下街。梅田はいまや大阪の顔になるほどの発展を遂げた。しかし、そんな梅田も明治以前、国鉄が開通するまでは田畑ばかりの寂れた土地だった。「梅田」という名称も、田畑池沼を埋め立て、土地を拓いたことから付けられた「埋田」を語源としている。その後、字が悪いということで「梅田」に変わったと言われている。これには他の説もあり、明治期に梅田周辺の所有者であった「梅田宗庵」の名をとって「埋田」から「梅田」に変わったとも言われている。話はそれたが、田舎町だった梅田が大阪一のメトロポリスに発展したそんな梅田の明治から現在に至るまでの発展をみていきたいと思う。

梅田高層ビル群